日本の自然風景写真

私が見た、撮った、日本全国の美しい自然を求めて20数年 兵庫県在住 アマチュア写真家 植田

第六章 外道および民間信仰の実態

第六章 外道および民間信仰の実態

一、神様の実態と霊魂説

「神札を焼くような信心はごめんですよ」という人がいる。ではその人が熱心に神様を拝んでいるかというと、大抵、神棚は塵にまみれ、かまどの上に真黒になったお札が貼ってある程度である。「では、あなたの拝んでいる神様は、どんな神様ですか」という質問には、ほとんど返事がない。神様に限らず宗教がすっかり因習化して、昔からあるものだからと誰もその実態をただそうとしないのである。では世間で神様といっているその種類にはどんなものがあるのだろうか。大別すれば三つある。 [check]第一は「天造説」をもとにした天地創造の神で、キリスト教などがその代表である。 [check]第二は先祖や偉人を崇拝する神で、日本の氏神などである。 [check]第三は仏教上の神で、梵天・帝釈のような諸天善神である。その他、自然力や物質・動物などを神とあがめるのもあるが、きわめて原始的なものが多く、ここでは論外としておこう。

天地創造神

宗教の中でも「天造説」をもとにして人間の考えから生まれた神で、キリスト教の天の父なる神、天理教の天理王命(親神様)金光教の天地金之神などがこれである。人間社会の中で、なかなか説明できない事柄や現象もある。しかし、それらを全部神の仕業であると決めて信ずることは、昔ならともかく、現代人にはできないことである。一例をあげればキリスト教でいう処女懐胎や、キリスト復活を通じて神を信じさせようとするが、はなはだ無理な話である。たとえ信じたとしても、その人の観念から生まれたもので、事実はありえない。こういう宗教は自然科学とまったく相反するし、低級な宗教である。

 

先祖の神々

 日本の神様は先祖を祭る氏神がそのほとんどである。その氏神の大元締めが天照大神なのである。氏神というのは、その一族の長老であり、みんなのために功績のあった人を、死後もうやまったのである。この先祖を神とする思想はやがて道徳と宗教の混合したものに成長する。しかし宗教とは信仰し祈願するものであり、先祖はただ道徳的な観点から感謝報恩すべきものにとどまる。だから [check]宗教の対象となるべきものは、智慧と教えで迷いの衆生を化導する力のあるものでなければならない。この智慧と教えをもって永久に変わらず迷いの衆生を教化して下さる方が [check]「仏」なのである。この意味から氏神には感謝報恩こそすれ、信仰や祈願するのは間違いである。

仏教上の神

仏教で説かれている神とは、「正法護持」の誓いをたてたものであり、 [check]必ず正法受時者を護るという約束をした諸天善神をいうのである。これを生命論の上から見るならば、「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり、元品(がんぽん)の法性(ほっしょう)は梵天・帝釈(ぼんてん・たいしゃく)と顕(あらわ)れ元品の無明(むみょう)は第六天の魔王と顕れたり」(治病抄997ぺージ)とある通り、十界互具(じっかいごく)の生命自体に梵天・帝釈等の諸天善神も、第六天の魔王等悪鬼神も備わっている。 [check]宇宙自体を生命体とすれば、必ず諸天善神もおり、その作用も必ずある。この立場から見れば日本の神々も又、諸天善神の中に入るのである。

 
神様と神札 

さてここで注意しなければならないのは、神様と神札とは違うことである。世間の人は神社からお金を出してお札を買ってきて、それをどこかへ貼っておけば、それで神信心になると思っている。しかし神社から買ってきたお札の中に神はおらず、悪鬼の棲家と化している。その理由については「立正安国論」に、邪教がはびこり正法護持の者が少なくなれば諸天善神がその国を去り、悪鬼が入る原理がくわしくのべられている。その実証としては、あらゆる神札を山のように積み重ねながら、不幸のどん底にあえいでいる人がたくさんいる。
[check]真に先祖を供養し、神様を尊敬する道は、独一本門(どくいつほんもん)の大御本尊に題目を唱える以外にはないのである。

霊魂説

”死んだらどうなるんだろう”ということは、誰でも一度は考える問題である。そして人間は漠然(ばくぜん)とではあるが、生命はこの世限りのものではなく、三世にわたる永遠の生命だと心のどこかで感じとっている。こんな意識の中で、もっとも単純に考えられるのが、霊魂説である。人間は肉体と精神の二つの面があり、死ねば目に見えない精神の変形した霊魂が、肉体を抜け出して、どこかに存在していると信じられている。それを裏付けるかのように死後報知(死の知らせを遠隔地で知る)、神呼び、心霊術などというのが、もっともらしく横行している。しかし精神と肉体は説明のためには、わけることはできても、生命そのものは「色心不二」といって、決して別々なものではない。生命の実態は三身常住(さんしんじょうじゅう)なのである。 [check]霊魂について釈迦は涅槃経(ねはんきょう)の中で否定している。もし霊魂があるとするならば、 [check]道理によって論証され、現実によって実証されなければならない。
しかし霊魂を主張する場合①万人が五官で認めることができない。②夜中・暗闇など判然としない又恐怖を与える心理状態の環境に限られている。③通力・暗示(つうりき・あんじ)によるもの。④みこ・霊媒者(れいばいしゃ)等特殊な人を通じてのみの場合に限られる(この場合必ず施行者の生命は損じられていく)等、そこには何ら論理的科学的証明もなく、普遍妥当性を見出すことができないのである。
[check]霊魂は存在しない。しかし死後の生命についての現象は仏法でも説かれている。それは感応(かんのう)という原理である。宇宙の生命は十界(じっかい)の生命であり、地獄もあり餓鬼・畜生も仏界(ぶっかい)の生命もある。そしてこの宇宙には十界がありながら、たがいに何ら邪魔にはならない。たとえばこの空間にはドイツの電波もフランスもアメリカも、ラジオ東京もNHKの電波も来ているが、たがいに邪魔にはならない。精巧なラジオを取りつければ、波長の合わせ方でどの放送局も聞こえてくる。 [check]死後の生命は大宇宙に溶け込み、各々地獄なり修羅、天とそれぞれの業うぃ感じている「我」というものが存在する。それは霊魂ではない。この苦しみをもつ生命の波調が、生きている同じ十界の生命をもった人に同調して、言葉が聞こえたり、見えたりする現象があり、これは霊魂の働きでなく、感応(かんのう)ということである。生命の法則を悪用して、他人のわからないことを知りえたとしても、死んだ人を幸福にすることも、自らが幸せになることもできない。もし先祖を救いたければ、御本尊に題目を唱え回向することによる以外にない。

二、迷信と魔の通力(めいしんとまのつうりき)

迷信
 日本人の日常生活の中には、かなりの迷信が入りこんでいる。一応本尊と為るようなものがあるものを除けば、生活習慣から来るものと、低級思想をもとにしたものとの二つになる。

一、生活習慣から起こった迷信

よく世間では「三人で写真を撮ると真ん中の人が早死にする」「爪や髪を焼くと気狂いになる」「出かけにほころびをぬったり、ボタンをつけたり針を使うと外で怪我をする」などという。又農村に行くと「種をまく時、まき忘れたうねがあると不幸がある」「妊娠中カマドを修繕すると兎唇(みつくち)の子が生まれる」等々、漁村では「猿の話をすると漁がない」等、あらゆる日本人の生活の中にわたっている。こうした生活習慣の中からおこる迷信には、他愛のないものが多いが、それでも農村・漁村にはいまだに根強く残っている。こうした中には永い年月の経験によって真をうがったものがあるが、大半は全く根拠のない語呂あわせ「猿は去るに通ず」など、連想によるものや単なる思いつきのものが多い。文部省の迷信調査協議会の調査結果によると、国民の保健上有害のもの52、7%、保健上有害でも無害でもないもの40、4%、保健上有害のもの6、8%となっており、またA自然科学的にみて因果関係の認められないもの92,3%となっているのを見てもわかるように、信ずべきものではない。したがってこうした迷信は一日も早く十分究明し、近代科学におきかえられるべきである。

二、低級思想から起こった迷信

 この方の横綱に、十干・十二支に五行説を組合わせた相性判断と、六曜・九星等から出る日の吉凶と、さらに方向を問題にする鬼門などがある。十干・十二支も、もとは日月を数える順序数で、迷信には直接関係のないものであった。それが後に易の陰陽・五行説の相生相剋の考えを取り入れて、吉凶の判断基準とした。さらに我が国では、生れ年の動物の性質が、人の性質や運勢にも影響を及ぼすように信じられたのである。これらの説は古代中国の極めて低い思想にもとずくもので、その配当の方法もでたらめで根拠薄弱である。特に甚だしいのは丙午(ひのえうま)で、丙午年生れの女は夫を食い殺すという迷信があり、このため徳川時代にはその年に生れた女児を密殺したり、明治時代には結婚不能・失恋・厭世自殺等の惨事がしばしばだったといわれている。現在でも結婚の時の相性判断がかなり行われている。結婚による幸・不幸を根拠のない相性を基準にしたところに、大きな誤りがある。厄年についても同様のことがいえるが、この方は多少、年令による肉体の変化期にも当っており、根拠がないこともない。しかしこれを利用して邪宗教が、厄除け祈願等に結びつけたところに害毒が流れているのである。
太田左衛門尉御返事(御書1017ページ)に「厄の年災難を払わん秘宝には法華経に過ぎずたのもしきかな」と仰せられている。
日の吉凶も相当根深い。太陽暦になった今日の暦の中にさえも、先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口などと書きこんである。そして出向、葬儀の吉凶を占っている。しかし友引ばども全くこの出所はでたらめである。中国の暦に「天飜地覆日」という凶日があり、それが「留連」に結びつき、日本に来て「流連」と改められ、さらに「友引」に脱線、葬式をすれば友を引くとこじつけたのである。以下同様で全くの迷信である。釈迦も涅槃経では「如来法中、吉日良辰を選択すること有ることなし」といっている。方角もまた同様である。五行説その他をもとに作り上げられた迷信で、建築などで方向のさわりをさけるために不便をしているなど、まったくおかしなことである。以上のようなものが、さらに邪宗教と結びついて、厄おとし、虫封じ、魔除け等と呪術的な信仰を生み、一層人々を不幸におとしいれていく。

魔の通力(つうりき)

「お宅の庭に柿の木があるでしょう。それを植えかえたから、さわりがあるのです」とか、「あなたの探しものは家の北側、それも上の方にあります。帰って探してごらんなさい」と怪しげなことをいう行者や祈祷師がいる。迷った人たちが、こうした所を訪ねて一、二回当ると、もう万能視して、あの先生は大したものだと、何をするにもおうかがいをたてるようになる。しかし小さな迷いごとの解決はできても、根本的不幸の解決はできないばかりか、かえって深みにはいって大きな不幸を招く結果になるのである。諫暁八幡抄(御書577ページ)に「魔王・魔民等守護を加えて法に験(しるし)あるようなりとも終(つい)にはその身も檀那も安穏なるべからず」というのが、この姿である。
通力といえばもう絶対何でもわかるとすぐ信じ込んで、特別な偉い先生と考える単純な所につけこんで、これらの行者等が横行する。いわゆる狐つき等も通力を出すが、もっとも低級な鬼畜の生得通で、暗闇でねこが見えるのや、鼠が火事を予感して逃げるのと変わらない。それを有難がれば、だんだん狐や蛇に似てくるのである。予言、探し物等の天眼通、その他天耳通、神足通などという通力もあるが、現在これらの通力をつかえるものはほとんどなく、通力が出たとしても、幸福になるという根本問題には程遠く、通力のみで絶対と信ずるのは危険この上ない。題目弥陀勝劣事(御書114ページ)に、「先ず通力あるものを信ぜば外道、天魔を信ずべきか乃至仏の最後の禁しめは通を本とすべからずと見えたり」
また唱法華題目抄(御書16ページ)に [check]「但法門をもて邪正をただすべし、利根と通力とにはよるべからず」と仰せある通り、魔の通力は一時は人の苦を除くようにみえて、みな迷うが、遂には不幸へとおちこんでゆくものであり、根本とすべき教えではない。その証拠にこれら行者・祈祷師の最後はみな悲惨で、自分の生命を損じ、堕地獄の姿を現じている。

三、主な邪宗の批判

一、神道
一、神様に対する素朴な疑問

「神様なんていうものは、わけのわからぬ、恐れ多くもありがたき方だ。だまって拝めばそれでよい」などというのをやめて、日本の神様をよくみてると、全くおかしなことばかりである。まず、お賽銭。神社にお賽銭箱はつきものであるが。神様にお金がいるわけはない。事実上、お賽銭なるものは、神主一家の生活費になりうわけだろうが、大体、お賽銭を神様に上げる理由はまったく聞いたことがない。世間一般の場合、金銭を支払えばその代償として品物が得られたり、便利が得られたりするものである。しかし、神社はお賽銭を取り上げるだけで、われわれの生活に何を与えただろうか。何も与えはしないとするなら、スリやサギ漢と何ら変わらないではないか。次に神札。火災・盗難除け、病気平癒、家内安全、商売繁盛と、効能書きは請負工場の家内工業の産物である。神主が紙に版を押し、妻がのりづけし、子供が祈るというようなわけだ。こんなことで病気や災難がなくなるなら、世の中に苦労はない。それに神札は半年なり、一年なりで、必ず焼き捨てて取りかえるしきたりもある。本当に神札が尊く力あるものなら、これくらいおかしいことはない。卒業証書のような紙片であさえ、一生大事にするものなのに、神札は一年で焼き捨てるとは全くうなづけない。要するに、神主が収入をますための営業政策にすぎないのではあるまいか。そのような紙きれを、有難がっていただいてくるとは、ずいぶん珍妙な風習ではないか。次に、世間では、人に物を頼む時には必ず相手が何者かを見きわめて物を頼むのが普通である。病気なら医者へ頼む、魚がほしい時は魚屋にたのむ、これが当然である。それなのに、神様の場合だけ、神様が何者とも知れないのに、人々はそこへ押し寄せて「病気を直してくれ」とか「金を儲けさせてくれ」とか勝手な祈願をしている。誠にただごとではない。魚屋に行って病気を直してくれとたのむのと同じではなかろうか。

二、日本神道の歴史

日本の神道は、最初、神道ということばさえないような原始宗教だった。日本民族は、昔酋長を中心に団結していたが、その風習が発展して先祖を尊ぶという風俗が生まれてきた。だから、これは理論的にはきわめて幼稚なものであった。やがて、六世紀のころ仏教が渡来してくると、仏教と神道との間に優劣を決定する争いがおこったが、神道側がかなうわけがなく、 [check]聖徳太子以後は、仏教が正しく立派な教えであるという事が、世人一般に認められるようになった。そこで神道側では、仏教の教義を盛んに盗み撮り、儒教や陰陽道までとり入れて、教義の新編をはかった。しかし当時の宗教界の情勢としては、仏教がなんといっても優勢で、一歩一歩神道側は後退し、鎌倉時代のころには仏教に従属して、自らの安全と世俗的権力を維持するに過ぎなかった。 [check]江戸時代の末、支那語に翻訳されたキリスト教のバイブルが日本へ入ってきた。これが神道に強い影響をあたえた。神道の教義らしい教義は始めてこの時作られたといってもよい。 [check]この平田神道は、尊王論の背景として世の流行思潮となり、明治維新の廃仏毀釈運動の源流をなしたのである。そして、さらに日本国家神道として全国民に君臨し、遂に邪教の本体をあらわして、軍部とともに日本民族を滅亡の道へ導いたのであった。現在、敗戦とともに一挙に失った権威を取返すべくもなく、神札販売、結婚式場の運営、お祭りなどにしがみついて余命を保っている。

三、日本神道に教義なし

原始民族の風俗に端を発する日本神道は、従って教義も何もないのは当然である。神社を中心とする神道(神社神道)には、特定の教祖さえなく、教典もないのが普通であるが、江戸時代の末ごろから、儒教・仏教等の刺激をうけて、盗み取って教義体系をととのえることが大流行した。こうして神社から離れて発展したものを宗派神道という。十三派に分裂したので、神道十三派という。今次大戦の後、民心の混乱に乗じて、一四四教団(昭和37年現在)を数えるにいたっている。主なところでは、神社本庁、神道大教、御嶷教、扶桑教、黒住教、金光教、天理教、PL教、稲荷教、天照皇太神宮教(踊る宗教)などがあるが、いずれも仏教教理の一部を盗みとった教義を奉じて民心をたぶらかしている。

四、神の本体は法華の守護神

日本の神は氏が中心である。氏神は氏(部族)の上(長)であって、一族を守るものであり、天照大神は民族全体の長であり、日本全土を守るものである。そのことは、天照大神のみことのりたる神勅に明らかに示されている。ところが今度の戦争で、日本は全国民あげて天照大神を奉じ、西欧哲学を奉ずるアメリカと戦った。その結果は無残な敗戦だった。天照大神は、日本の氏神の大将なのに、どうして日本を守らなかったのであろうか。ひと口に結論をいうと、天照大神は日本にいなかったのである。大聖人様は立正安国論(御書17ページ)に「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是を以って魔来たり鬼来たり災起こり難起る」新池御書(御書1440ページ)に「此の国は謗法の土なれば守護の善神は法味にうえて社をすて天に上り給へば社には悪魔入りかはりて多くの人を導く」と仰せられている。すなわち、天照大神は法華の守護神であり、謗法の国には住まないのである。今、天照大神始め諸天善神は、皆法味をあじあわないので日本を去り給うたのである。従って、神社や神札には神はおいでにならないで、かえって人を不幸にする悪鬼魔神がすむのである。だからこそ日本は未曾有の大敗戦を経験しなければならなかったのである。そうだからといっても、天照大神に罪があるわけではない。日本一国が一日もすみやかに正法に帰依することこそ、天照大神の喜び給うことであり、一日も早く広宣流布して、天照大神にもその他の神々にもお帰り願うのがわれわれの責務である。

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

k.u