日本の自然風景写真

私が見た、撮った、日本全国の美しい自然を求めて20数年 兵庫県在住 アマチュア写真家 植田

立正安国論講義より

       すばらしき仏法の教え 



立正安国論講義(日蓮大聖人御書十大部第一巻)池田大作著より私が学んだ部分を無作為に選ばさせて頂きました。

宗教とは、生命の本質を解明したものであり、生活の根本法を説き明かしたものである。それゆえ、宗教を誤ることは、人生、生活の根源を誤ることになる。われわれが不幸になるのは、窮極においては、その根本の生活法ともいうべき宗教が低級」であり、かつ誤っている点に原因がある。したがって、宗教の内容、本質も究明せず、また先祖からのものであるとか、慣習であるとかといって、そのまま鵜呑みにしてよいわけがない。根本法なればこそ、最も高く、正しいものを求めて、価値ある人生としていくのが、文明人のあり方といえる。

*現在日本には、世界中のあらゆる宗教が存在しており、文部省の統計によれば、宗教法人の数はおよそ十八万といわれている。しかしながら、ほとんどの人は、それらの宗教を判別し批判していく基準、原理を知らない。このように、多くの宗教が乱立しているのは、日本人がいかに宗教に対して無批判であるかの証左でもある。無批判とは、反近代的、非科学的の意にほかならない。

第二章 世人法の正邪知らざるを喩す

本文

主人喩して曰く仏閣甍を連ね経蔵の軒を並べ僧は竹葦(ちくい)の如く侶は稲麻(とうま)に似たり崇重(すうちょう)年旧り尊貴日に新たなり、但し法師は諂曲(てんごく)にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し。

通解

客がいきり立ったので、主人は喩(さと)していわく。
たしかにたくさんお寺院が棟を連ね、経蔵も軒を並べて、いたるところに建っている。また僧侶も竹葦稲麻のごとくたくさんいる。それらの寺院や僧侶を一般民衆が崇重するようになってすでに久しく、しかも、これを尊ぶ信心の誠は、日に日にあらたである。しかしながら、現在、国じゅうにあるいっさいの僧侶は心がひねくれて、へつらう心が強く、一切大衆をして人としてふみ行うべき道を迷わしめている。国王をはじめ臣下万民は無智のため、法の邪正(じゃしょう)をわきまえていないのである。

語訳 省略

講義

現在の日本に仏教があるかないか。この点で主人と客の見解が食い違っつている。客は仏教が伝来して以来数百年にわたり、多くの名僧が出現し、多数の寺院が建立されて、天皇・将軍をはじめ万民が、これを信仰しているではないか。にもかかわらず、どうしてこの日本の国に仏法がないというのかと、反問するのである。これに対し、主人は、そのように万人が信仰している宗派が、みな悉く邪宗邪義であり、今末法の時に敵い、末法の衆生の機根に応じた正法が、まったく捨てられている。しかも王臣ともに愚かで、無智で、仏法の邪正を見分けることができないから、ますます邪宗邪義が栄えているのだと喩されている。この主客の考え方の、根本的な違いは、客が、形式主義にとらわれているのに対し、主人は、実質を論じ、権威主義、形式主義を排して、仏法の邪正、高低、浅深という、問題の核心にふれていくのである。七百年前より今日に至るも、一貫して変わらないことは、人々は宗教を論ずるときにあまり形式にとらわれ、宗教家と名がつく者はみな善知識だと決めてかかって、宗教の邪正、高低、浅深にきわめて無頓着なことである。これが邪宗教の跋扈(ばっこ)を許す根本原因である。 [check]この権威主義にとらわれ、実質を見失うのは、人間の弱点である。かつて、西洋においても、キリスト教の「宗教的ドグマ」「教会の権威」は、未知の世界を知りたいという人間の自然の心の発露を巨大な圧力でおしつぶし、また真実を叫ぶ偉大な知性をも、幾多葬りさってきたではないか。思想の高低、浅深を論ずることを許さず、権威と形式で縛りつけたいまわしい歴史である。また日本に於いても、 [check]戦時中の、あの神道思想への、一国あげての傾注は、思えば、愚かしい、狂気の沙汰であった。神道思想の善悪、是非を論ずることを許さず、権威と巨大な軍部の圧力が、民衆のうえに重々しくのしかかった。 [check]人々は神主は尊いもの、陸海軍の大将は立派な人物と決めて疑うことを知らなかったのである。しかも、それらの底流をみるときに、権威主義、形式主義は、民衆の生命の奥深くに根ざしていたのである。既成の権威の中に閉ざされ、同調し、流されていく無気力と無智、そして自己保身に汲々となり、長いものにまかれろ式の事大主義、これらの風潮が、政治面においては、やがて、これに君臨する巨大な独裁権力を生むのである。宗教界においては、政治権力と利害で結びついた邪宗邪義を横行させ、それにより民衆の生命は、根底よりむしばまれてしまうのである。今日、われわれが折伏に行くと、いかに民衆の生命の中に、これらの風潮が残存しているかが知らされるのである。ことに、自分の信仰している宗教が、邪宗教であると知らされるや、「先祖の宗教をけなすとはとんでもない」といって、烈火のごとくおこりだすなどは、その典型である。自分の既存の知識、自分の既存の権威にしがみつき、必死に抵抗しようとする哀れな姿ではないか。
日蓮大聖人は、こうした [check]我慢偏執(がまんへんしゅう)を捨て、真に宗教の正邪・善悪を検討することを教えられている。しかして、その実質を論ずれば、真実の仏法はまったく隠没(おんもつ)し去り、仏法の形骸のみ残存していることが明らかとなると、論じられているのである。ここに「但し法師はて諂曲(てんごく)にして人倫を迷惑し」とは、当時の一般の僧のみならず、名僧、高僧とうたわれた極楽寺良寛、建長寺道隆等の本質をえぐられたものであり、「王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」とは、鎌倉幕府に真正面から切り込み、その愚迷を諫言(かんげん)された言葉である。まことに、この一句のなかに、権威を恐れず、民衆のためを思い、ただ一人決然と戦われる雄姿を見るではないか。創価学会もまた同様である。いかなる権威に迎合する必要もない。ただ真実を叫び、三類の強敵のアラシと戦ってきた輝かしき歴史が、今日の創価学会を築いている。これからも同じ道を進むのである。日本民族の幸福のため、世界の幸福のために、正々堂々と戦い駒を進めて行くのである。これこそ、最も強く、栄光ある大道ではないか。

第二章 国家安穏天下泰平の原理を説く

本分
主人の曰く、余は是れ玩愚(がんぐ)にして敢(あ)えて賢(けん)を存(そん)せず唯経文に就いて聊(いささ)か所存(しょぞん)を述べん、抑(そもそ)も治術(」ちじゅつ)の旨(むね)内外の間其の文幾多(いくばく)ぞや具(つぶさ)に挙(あ)ぐ可(べ)きこと難(かた)し、但(ただ)し仏道に入って数(しばし)ば愚案(ぐあん)を廻(めぐら)すに謗法(ほうぼう)の人を禁(いまし)めて正道(せいどう)の侶(りょ)を重(おも)んぜば国中安穏(あんのん)にして天下泰平(たいへい)ならん。

通解
主人のいわく。
あなたは賢愚弁ぜずといわれたが、自分はもとより頑愚で、何も賢いわけではない。ただ釈尊の経文について少しばかり考えているところを述べてみたい。そもそも災難を治術する方法については、仏法の経典にも、また仏法以外の書にも、たくさん説かれており、残らずここにあげることはとうてい困難なことである。ただし仏道に入ってしばしば自分の考えをめぐらしてみると、結局、謗法の人を禁止して、正法護持の人を重んずるならば、国中は安穏となり、天下は泰平となるであろうことは明白である。

語訳 は省く

講義

三災七難を消し止めるには、どうすればよいかとの前章の客の問いに答えて、本章からその方法を説き出されるのである。
まず本章で「謗法の人を禁(いまし)めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん」と述べられいるのは、結論の極理である。しかる後に、第3章以下で法華経、涅槃経の文を引いて、これを論証されているのである。いうまでもなく、謗法の人とは浄土宗のみに止まるのではなく、禅宗、真言宗、華厳宗、法相宗、また今日でいえば、天理教、立正佼成会、金光教、メシヤ教、霊友会等、日蓮大聖人の三大秘法の仏法に帰依しないいっさいの宗派を謗法となす。日蓮宗といいながら、名ばかりで低劣極まる淫祇邪教である身延・中山・池上、ほかの日蓮宗各派も同じである。よく立正安国論では、法然の選択集のみを謗法として呵責されているかのように論ずる人がいる。しかし、それは誤りである。特に法然の浄土宗を大きく取り上げられたのは、すでにしばしばふれたように、当時の宗教界の情勢をみれば、直ちに理解されるところである。法然が専修念仏を唱え始めたのは、日蓮大聖人御誕生のわずか四十八年前であり、 [check]法然の墓が勅命によって発(あば)かれ、高弟たちが流罪されたのは、日蓮大聖人六歳の時であった。しかし、この数十年間に、専修念仏は戦乱と災害に脅える民衆の不安、末法思想の流行に乗じて、疫病がはやるように、全国津々浦々に広まった。念仏の哀音は日本国中をおおい、比叡山でさえ、これを認めなければ信者の庇護、寄進を受けられないほどの世相になっていたのである。武士の都、鎌倉で北条重時が浄土宗のために極楽寺を創立したのは、安国論御術作の前年である。この一事によって、国諫の書たるこの立正安国論が、謗法の代表として法然の浄土宗を取り上げ、これを完膚なきまでに破折された所以は、瞭然である。だが、単に浄土宗のみの破折に終わっているのではない。十一通御書の建長寺道隆に当てた御状にいわく「夫れ仏閣軒を並べ法門屋(いえ)に拒(いた)る仏法の繁栄は身毒(けんどく)支那に超越し僧宝の形儀(ぎょうぎ)は六通の羅漢(らかん)の如し、然りと雖も一代諸経に於て未だ勝劣・浅深を知らず併(さな)がら禽獣(きんじゅう)に同じ忽(たちま)ち三徳の釈迦如来を抛(なげう)って、他方の仏・菩薩を信ず是逆路耶陀(ぎゃくろやがだ)の者に非ずや、念仏は無間地獄(むげんじごく)の業・禅宗は天魔の所為(しょい)・真言は亡国の悪法・律宗は国賊の妄説と云云、爰(ここ)に日蓮去る(い)ぬる文応元年の比勘(ころかんが)えたるの書を立正安国論と名(なず)け宿屋入道(やどやにゅうどう)を以て故最明寺殿(さいみょうじどの)に奉りぬ、此の書の所詮は念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に天下に災難頻(しきり)に起り剩(あまつさ)へ他国より此の国責めらるる可きの由之を勘(かんが)えたり。」云云と。この日蓮大聖人の御心によって現代の宗教界を見るならば、日蓮宗各派、念仏・真言・禅宗の既成仏教が全日仏と称して連合体制をとり、大聖人の仏法を奉ずる創価学会を弾圧しようと図っている。共に、立正佼成会、PL経団、天理教、霊友会等の新興宗教の徒輩が、新宗連を構成し、創価学会対策に躍起となっていることも、大聖人御在世当時と同じ方程式といえる。

ゆえに、既成たると新興たるとを問わず、彼ら邪宗教こそが、現在の日本に起こっている三災七難の根本病原であることは明らかである。彼らの謗法を厳重に禁じて、正道の侶すなわち創価学会を重んじ、教えを乞うならば、必ずや国中が安穏になると共に平和世界が実現されることを、強く強く確信するものである。

余は是れ玩愚にして敢えて賢を存せず。

示同凡夫(じどうぼんぷ)のお立場から、謙遜された言葉である。また前問の「賢愚弁ぜず」に対する語である。また、日蓮大聖人の言々句々は、すべて仏の経文を依拠(えきょ)とし、裏ずけとして述べられている。そこには、亳(ごう)もみずからの才を誇ったり、客観的裏ずけのない無責任な発言はないのである。

偉大なる仏法の予言

外道にせよ、仏教の僧にせよ、およそ予言者といえば、天の啓示を受けたとか、夢のお告げがあった等と称して、いつ、どこで、どのようなことが起こる等、というものである。そこには言外に、自分が特別にこの啓示を受けたのだ、一般の者たちとは違うのだぞという、優越感、差別観が含まれている。

こうした予言者、啓示者は、正しい仏法においては用いないのである。「利根(りこん)と通力(つうりき)とには依(よ)るべからず」と、大聖人も厳(げん)に戒(いまし)められているのである。、成程、一見すると、こうした予言者の方が素晴らしく見えよう。だが、それは根底に客観性と哲学に裏づけられた普遍妥当性がない証拠ではないか。

それに反して、日蓮大聖人は、この立正安国論で展開されているように、一つ一つ経文を引いて裏づけ、経文を示して結論を下されている。すなわち、ここに示された原理は、すべて事実の証拠と経文による裏づけと、哲学的論理性があるがゆえに、いついかなる時代に於いても、かたいかなる国土においても、共通する大原理なのである。

七百年前に認(したた)められたこの立正安国論は、単なる歴史的文献でもなければ、文学的著述でもない。七百年後の今日にもそのまま通じ、民族の興亡と経済的対立、思想的、軍事的相克(そうこく)に苦悶する全人類に対する警告の書として、生き生きとして胸臆(きょうおく)をえぐるのである。

経文は仏の説法である。その時に、思いつきや逃げ口上でいう無責任な指導者や、支離滅裂な評論家の言々句々とは、天地雲泥の相違がある。宇宙の本質を悟り、永遠の生命観に立脚した仏の言であるが故に、絶対に誤りのない真理なのである。

また日蓮大聖人は、この立正安国論で述べ、予言された自界叛逆(じかいほんぎゃく)、他国侵逼(たこくしんぴつ)の両難が寸分の狂いもなく現れたことを証拠として「日蓮に帰せよ」「日蓮が言に随え」と、大確信をもって、正法を教えられるのである。

文永五年(1268年)蒙古より使者が到着して、他国侵逼難の予言的中が明らかとなった時、十一か所に当てて認(したた)められた公場対決申し込みのお手紙を拝してみよう。
まず、執権・北条時宗への御状には次のように申されている。

「抑(そもそ)も正月十八日・西戎(さいじゅう)大蒙古国の牒状(ちょうじょう)到来すと、日蓮先年諸経の要文を集め之を勘(かんが)えたること立正安国論の如く少しも違わず普合しぬ、日蓮は聖人の一分に当れり未崩(みぼう)を知るが故なり、然る間重ねて此の由を驚かし奉る急ぎ建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿等の御帰依を止めやまえ、然らずんば重ねて又四方より責め来る可きなり、速かに蒙古国の人を調伏(ちょうぶく)して我が国を安泰ならしめ給え、彼を調伏せられん事日蓮に非ざれば叶う可からざるなり、諫臣(かんしん)国に在れば則(すなわ)ち其の国正しく争子家に在れば則ち其の家直し(ただ)し、国家の安危は政道の直否(じきひ)にあり仏法の邪正は経文の明鏡に依る」云云と。

また、極楽寺良寛への御状にいわく、

「西戒(さいじゅう)大蒙古国簡牒の事に就て鎌倉殿其の外へ書状を進ぜしめ候、日蓮去(いぬ)る文応元年の比勘え申せし立正安国論の毫末計(ごうまつばか)りも之に相違せず候、此の事如何、長老忍性速かに嘲哢(ちょうろう)の心を翻(ひるが)えし早く日蓮房に帰せしめ給え」云云と。

また多宝寺への御状にも。

「若し日蓮が申す事を御用い無くんば今世には国を亡し後世は必ず無間大城に堕す可し」と申されている。「日蓮聖人の一分なり」「早く日蓮房に帰せしめ給え」等、いずれも、日蓮大聖人こそ末法の仏であり、蒙古の襲来前に風前の灯となっなった日本の国を救う者は自分以外にない、との御確信であられる。さらに、多宝寺への御状のごとく、大聖人の教えを実行しなければ、今世には日本を亡国に追いやり、来世には指導者も民衆も無間地獄に堕ちるであろうと仰せられるのは、明らかに末法御本仏の境涯以外の何ものであろうか。したがって、この立正安国論は、国家諫暁の書であり、あくまで謗法を禁ずる事を表に打ち出して建言されている。しかしながら、その御本意は、一般学者がいうような,法華経二十八品を用いることではない。この安国論に予言された自界叛逆、他国侵逼の二難が的中したことを証拠として、日蓮大聖人の教えを受ける以外にないと申されているのである。

広宣流布こそ立正安国論の実践

その時に、大聖人が教えてくださる正法、すなわち立正の正とは何か。これ、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経である。日蓮大聖人が出世の本懐として建立された一閻浮堤総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊が三大秘法総在の御本尊であり、この御本尊に帰命すること、その信仰を全世界に広宣流布することが立正安国の実践となるである。

三大秘法抄にいわく、

「問う所説の要言の法とは何者ぞや、答えて云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠(りゃっかいごんけんのん)を説かせ給いし湧出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初(そのかみ)修行し給いし寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」

日蓮大聖人の説法の究極は、三大秘法にあるとの御断言であられる。ゆえに、安国論等で法華経を表に打ち出されているのは、一つには、権教である浄土宗を権実相対の立場から破折するために、実教である法華経を立てられたのである。もう一つは、同じく
三大秘法抄に

「此の三大秘法は二千余年の当初・地湧千界の上音として日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承(ぼんじょう)に芥爾計(けにばか)りの相違なき色も替(かわ)らぬ寿量品の事の三大事なり(中略)法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」

とあるごとく、三大秘法がこの法華経に秘されているがゆえなのである。、、、。

治術の旨内外(ないげ)の間其の文幾多(いくばく)ぞや

およそ、三災七難を退治する方法を説いたものは、内道すなわち、仏法に於いても幾多の説があり、外道においては、さらに多くの所説がある。たとえば、旱害(かんがい)等に対して、土地の沼や河川の主よしょうせられる蛇や竜神等に祈ることは、科学文明の発達した二十世紀の昨今においても、少し田舎へ行けば盛んに行われているところである。東京や大阪等の大都市において、近代建築の粋を集めたビルの屋上に、稲荷の祠を祀り、社長以下社員が商売繁盛の祈願をするといった珍光景も、けっして珍しいことではない。その因って来るところは、宗教に対する、悲しむべき無智であることは論を俟たない。

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

k.u