日本の自然風景写真

私が見た、撮った、日本全国の美しい自然を求めて20数年 兵庫県在住 アマチュア写真家 植田

私が学んだ仏法哲学20

       私が学んだ仏法哲学20



日蓮大聖人御書全集より

御義口伝(おんぎくでん)

桜梅桃李(おうばいとうり)の己己の当体を改めずして無作三身(むささんじん)と開見すれば、是即ち量の義なり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり。

佐渡御書(さどごしょ)

おごれる者は強敵(ごうてき)に値(あ)いておそるる心出来(しゅったい)するなり。例せば修羅のおごり、帝釈に責められて、無熱池(むねっち)の蓮(はちす)の中に小身ととなりて隠れしが如し。

妙法尼御前御返事

白粉(おしろい)の力は漆(うるし)を変じて雪のごとく白くなす。須弥山に近ずく衆色は皆金色なり。法華経の名号を保つ人は、一生乃至(ないし)過去遠遠劫(かこおんのんごう)の黒業の漆(うるし)変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり侯なり。

佐渡御書

世間に人の恐るる者は火炎(ほのお)の中と刀剣(つるぎ)の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶(なお)身を惜しむ、況(いわん)や人身をや。癩人(らいにん)猶命を惜しむ。何(いか)に況や壮人をや。仏説いて云く「七宝を以て3千大千世界に布き満(みつ)るとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如かず」取意。雪山童子の身をなげし、楽法梵志(ぎょうぼうぼんじ)が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習えば必ず仏となる。

新池御書(にいけ)

雪山(せっせん)の寒苦鳥(かんくちょう)は寒苦にせめられて、夜明けなば栖(す)つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう。一切衆生も亦(また)復(また)是の如し。地獄に堕ちて炎にむせぶ時は、願わくは今度人間に生れて諸事を挿し擱ひて三宝を供養し、後世菩提をたすからんと願へども、たまたま人間に来る時は、名聞名利(みょうもんみょうり)の風はげしく、 [check]仏道修行の灯は消えやすし。 [check]無益(むやく)の事には財宝をつくすに惜しからず。仏法僧に少しの供養をなすには是をものうく思う事これただごとにあらず。地獄の使いのきをふものなり。寸善尺魔(すんぜんしゃくま)と申すはこれなり。

開目抄下

詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期(ご)とせん。身子(しんじ)が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼(こつげん)の婆羅門(ばらもん)の責めを堪(た)えざるゆへ。久遠大通の者の三五の塵(じん)をふる、悪知識に値うゆへなり。 [check]善につけ悪につけ法華経をすつるは、地獄の業(ごう)なるべし。大願を立てん。日本国の位をゆずらむ、法華経をすてて観経等について後生(ごしょう)をご(期)せよ、父母の頸を刎ねん、念仏申さずば、なんどの種種の大難出来(しゅったい)すとも、智者に我義破られずば用いじとなり。

その外の大難、風の前の塵(ちり)なるべし。

我日本の柱とならむ、我日本の眼目(げんもく)とならむ、

我日本の大船とならむ等ちかいし願いやぶるべからず。

四条金吾殿御返事

一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり。経に云く「衆生所遊楽」云云。

小乗大乗分別抄

一切衆生のみならず、十界(じっかい)の依正(えしょう)の二法、非情の草木、一微塵にいたるまで皆十界を具足せり。

御義口伝(おんぎくでん)

一切衆生は性徳の竜女なり。所詮釈尊も文殊も堤婆(だいば)も竜女も、一つ種の妙法蓮華経の功能なれば本来仏なり。

上野殿御返事

一切の事はによりによる事なり。仏法は此の道理をわきまうべきにて候。

可延定業書

  一日の命は三千界の財にもすぎて侯なり。先ず御志をみみへさせ給うべし。

上野殿御消息

  一に仏教の恩四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。

開目抄上

  一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしずめたり。竜樹・天親知ってしかもいまだひろいいださず、但我が天台智者のみこれをいだけり。

草木成仏口決

   一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。

御義口伝上

  一念三千も信の一字より起り、三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり。此の信の字元品の無明を切る利剣なり。

観心本尊抄

  一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給(たも)う。
 

[check]御義口伝下『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作(むさ)の三身(さんじん)念念に起るなり。所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は精進行(しょうじんぎょう)なり。

「上野殿後家尼御返事」

夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には侯はず。ただ我等がむねの間に会り。これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云う。

「開目抄下」

夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう、水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう、折伏の者は摂受をかなしむ、無知・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。

「上野殿御返事」

そもそも今の時、法華経を信ずる人あり。或いは火の如く信ずるひともあり。或いは水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもえたつばかりをもえども、とおざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり。此れはいかなる時もつねはたいせずとわせ給えば、みずのごとく信ぜさせ給へるか。

「四条金吾殿御返事」

[check]真実一切衆生色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり。

「兵衛志殿御返事」

しおのひるとみつと、月の出るといると、夏と秋と、冬と春とのさかいには必ず相違することあり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四摩と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。

「当体義抄」

至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時不思議の一法之れ有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し。

「本因妙抄」

信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり。是を天身独朗の即身成仏と名づく。


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