私が学んだ仏法哲学12
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「一生成仏抄」
衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云穢土というも土に二の隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生というも仏というも亦(また)此(かく)の如し、迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名付けたり。譬(たと)えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。
御義口伝下
修行とは無疑曰信(むぎわっしん)の信心の事なり。
南条殿御返事
釈迦仏は、我を無量の珍宝を以って億劫(おくごう)の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給いて候。
観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)
釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字をを受持(じゅじ)すれば、自然(じねん)に彼の因果(いんが)の功徳を譲り与え給(たま)う
諸法実相抄
下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、悉く一法も残さず妙法蓮華経のの姿なり。
釈迦・多宝の二仏と云うも用(ゆう)の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御座(おわ)し候へ。
釈迦如来の御ためには堤婆達多(だいばだった)こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものはかたうどよりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり。
兄弟抄
此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来(いらい)彼の魔王の眷属なり。
四条金吾殿御返事
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。
崇峻天皇御書 『 蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給(たま)うべし。』
御義口伝(おんぎくでん)下
久遠とははたらかさず、つくろわず、もとの儘(まま)と云う義なり。無作(むさ)の三身(さんじん)なれば初めて成ぜず、是れ働かざるなり。三十二相八十種好(しゅごう)を具足せず、是繕わざるなり。本有常住(ほんぬじょうじゅう)の仏なれば本(もと)の儘なり、これを久遠というなり。久遠とは南無妙法蓮華経なり。実(まことに)成(ひらけたり)、無作(むさ)と開けたるなり。
生死一大事血脈抄
久遠実成(くおんじつじょう)の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解(さとり)て妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大字事の血脈ちは云うなり。
聖人知三世事
日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽(ふぎょう)の跡を承継するの故に軽毀(きょうき)する人は頭(こうべ)七分に破(わ)れ、信ずる者は福を安明に積まん。
三世諸仏総勘文教相廃立
八万四千の法蔵は、我が一人の日記文書なり。此の八万法蔵を我が心中に孕(はら)み持ち懐(いだ)き持ちたり。我が身中の心を以って仏と法と浄土とを、我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり。此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり。
十字御書
蓮(はちす)はきよき(清)もの、泥よりいでたり。栴檀はかう(香)ばしき物、大地よりおい(生)たり。さくらはをもしろき物、木の中よりさきいず。、、、、月は山よりいでて山をてらす。わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。
「聖人知三世事」 聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う。
「松野殿御返事」聖人の唱えさえ給う題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少侯べきやと云云。更に勝劣あるべがらず侯。其の故は愚者の持ちたる金(こがね)も智者の持ちたる金も、愚者の然(とも)せる火も智者の然せる火も、其の差別鳴きなり。但し此の経の心に背いて唱えば其の差別有るべきなり。
「佐渡御書」正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。
「四条金吾殿御返事」正法をひろむる事は必ず智人によるべし。
「新池殿御消息」
諸経は随他意なり、仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に法華経は随自意なり、一切衆生を仏の心に随へたり。諸教は仏説なれども、是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず。法華経は仏説なり。仏智なり。一字一点も是を深く信ずれば我が身即ち仏となる。
「開目抄下」
諸経は智者猶仏にならず。此の経は愚人も仏因を種(う)ゆべし。
「立正安国論」所詮、天下泰平・国土安穏は君臣の楽(ねが)う所土民の思う所なり。夫れ国は法に依って昌(さか)え、法は人に因(よ)って貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇む可、法を誰か信ずべきや、先ず国家を祈って、須(すべから)く仏法を立つべし。
「生死一大事血脈抄」
所詮、臨終只今にありと解(さと)りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」と説かれて侯。
「立正安国論」
濁劫悪世の中には、多く諸々の恐怖あらん。悪鬼其の身に入って、我を罵詈(めり)し毀辱(きにく)せん。濁世の悪比丘は、仏の方便・随宜(ずいぎ)諸説の法を知らず、悪口して顰蹙(ひんしゅく)し、数数(しばしば)擯出(ひんずい)せられん。
「法華取要抄」
諸病の中には法華経をの謗(ぼう)ずるが第一の重病なり。諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり。
「当体義抄」
至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果具持不思議の一法之れ有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し。
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