私が学んだ仏法哲学10
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妙法の同志
戸田先生は、この「方便現涅槃」が「生命は永遠であると説きながら、なぜ死ぬのかという問題を」明かしたものであると語られました。すなわち、「生死不二」という永遠の境涯から見れば、 死は方便であることを教えられた。
戸田先生は、死をよく睡眠に譬えられた。長く起きていて疲れたら眠る。ぐっすり眠って起きれば、元気が戻る。長く生きていて疲れたら死ぬ。そして元気になって新たな人生を始められる。 死は生のための充電期間なのです。
妙法に生きた人は、すぐに生まれて、来世も広宣流布の陣列に戻ってくる。最高に充実した願いどおりの使命の人生で活躍できる。
ゆえに、死を恐れることもなければ、諦めて開き直ることもない。この真実をしっかと見つめて、堂々と、また悠然と生きて生きて生き抜くのが、仏法者の生き方です。今世(こんぜ)も生き抜き、三世を生き抜くのです。
ただし、戸田先生も強調されていましたが、永遠の生命といっても、”生まれ変る”のではない。
過去世から今世へ、また今世から来世へ、生命自体は連続している。因果の理法は三世永遠である。生命に刻まれた善悪の因はそのままでは消えない。
戸田先生は、私たちの生命は死後、宇宙に冥伏(みようぶく)する、溶け込むのだ、と教えられた。
溶け込んだけれども、他と混じり合ったりはしない。それぞれが独立して、生前の行(おこない)に応じて、いろいろな喜びや悲しみを感ずる。それは夢の中で、泣いたり笑ったりしているようなものである。そして何かのきっかけで夢から覚めるように、縁(えん)に応じて再び生まれてくるのである_と。だから”来世があるから今世では手を抜こう”と言う訳にはいかない。また今世の一回限りの人生だから、好き勝手をしよう”というわけにもいきません。宿命を根本的に打開するのが大聖人の仏法です。
真に「永遠の生命観」に立てば、まず「今世」が変るのです。
御本尊に祈る時、生命の奥底(おうてい)からの変革が起る。強く清らかな生命力が、ふつふつと湧きあがる。宿命の鉄差鎖を断ち切り、生命本来のっすがすがしく、たくましい仏界の姿が現れるのです。
つねに「新たな命」として生きる_それが、私どもの「人間革命」の生涯なのです。
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