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私が見た、撮った、日本全国の美しい自然を求めて20数年 兵庫県在住 アマチュア写真家 植田

法華経について

       すばらしき仏法の教え 



法華経(ほけきょう)について。

仏教哲学大辞典 第五巻 池田大作 監修 創価学会教学部編(昭和四十四年二月十六日発行~抜粋引用させて頂きました。

法華経を解説する人は多いが間違った法華経の説き方を決して信じてはいけません、間違って覚え自己流で解釈することは怖いことです、素晴らしい教えであるが故に邪宗教の坊主どもが説くところの法華経は決して信じてはなりません、若し間違えば地獄へ落ちることは必定です。正しく法華経を理解することが肝要かと思われます、今は亡き父がこの仏教大辞典‥を残してくれていたことが仏法理解に大いに役立ちました。改めて父、そして監修して頂いた池田先生には感謝の念が絶えません。

【法華経】 妙法蓮華経の略称。 [#p4852e15]

[check]梵名を薩達磨芬陀梨伽蘇多覧(さだるまふんだりきゃそらたん)という。
[check]鳩摩羅什(くまらじゅう)が薩を妙・達磨を法・芬陀利伽を蓮華・蘇多覧を経と漢訳して妙法蓮華経と称した。
[check]釈迦が説いた法華経は一部八巻二十八品である。
法華経を説いた仏は、釈迦以外にはいないと一般には考えられているが、法華経の文中には、釈迦以前すでに不軽菩薩(ふきょうぼさつ)や大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)等も法華経を説いたとあり、釈迦以後の天台もまた像法の法華経である摩訶止観(まかしかん)を説いている。日蓮大聖人末法の法華経である三大秘法の南無妙法蓮華経を説かれている。
これについて創価学会第二代戸田城聖会長は昭和二十九年八月号の大白蓮華紙上でつぎのように述べている。「釈迦一代の仏法を通観するに、妙法蓮華経の教えは、釈迦仏法の最高位であり骨髄であり、大綱である。ゆえに、妙法蓮華経を理解せずして釈迦仏法の真髄をみることはできない。しこうして、仏法の二つの潮流たる釈迦仏法と、末法の大聖人の仏法との相違を認識するには、また、大切な基礎ともいわなければならない。今日、仏法が雑乱(ぞうらん)しているゆえんは、釈迦の妙法蓮華経に幻惑されているやからが、大聖人の南無妙法蓮華経の仏教と混同しているゆえで、法華経二十八品は釈迦の仏法であり、

南無妙法蓮華経の仏法は大聖人の仏法であるということを深く留意しなければならない」と。ゆえに同じく法華経といっても、それを説く
[check]仏と時と衆生の機根とによって種々の差別がある。

㈠ 法華経を説いた過去の仏

三世十方の諸仏は法華経を説くために世に出現するのである。すなわち法華経方便品第二に「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう」とあり、また同品に「過去無数劫の、無量の滅度の仏、、、、是の諸の世尊等も、皆一乗の法を説き、無量の衆生を化(け)して、仏道に入らしめたまいき」とあり、さらに同品に「未来世の諸仏、百千億、無数の諸の法門を説きたもうと雖も、其れ実には一乗の為なり」とある。いま法華経二十八品の中から法華経を説いた仏・菩薩をあげればつぎのとおりである。

日月燈明仏。序品第一に「日月燈明仏、三味(さんまい)より起(た)ち、妙光菩薩に因(よ)せて、大乗経の妙法華経、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたもう」とある。

大通智勝仏・十六王子。化城喩品第七に、三千塵点劫の昔に大通智勝仏が、十六王子の請(しょう)を受けて妙法蓮華経を説き、また、十六王子もおのおの十六の国土において妙法蓮華経を説いたとある。これを大通覆講(ふっこう)といいその十六番目の王子が釈迦である。

阿私仙人・文殊師利菩薩。提婆達多品(だいばだったぼん)第十二に阿私仙人が国王のために妙法蓮華経を説いた。この時の王とは釈迦であり、阿私仙人とは提婆達多のことである。また、文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)が海中において八歳の竜女(りゅうにょ)のために妙法蓮華経を説いたとある。

不軽菩薩・威音王仏(いおんのうぶつ)。
常不軽菩薩品第二十に、威音王仏の像法(ぞうほう)の時、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)が

「我深く汝等(なんだち)を敬う。敢(あ)えて軽慢(きょうまん)せず。所以は何(いか)ん。汝達皆(みな)菩薩の道を行じて、当(まさ)に作仏することを得べし」 

の二十四文字の法華経を説いた。

日蓮大聖人は御義口伝下に「此の廿四字と妙法の五字は替(か)われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり」と述べられている。また威音王仏も法華経を説いたことは同品に「この比丘(不軽菩薩)終らんと欲(ほっ)する時に臨(のぞ)んで、虚空の中に於いて、具(つぶさ)に威音王仏の、先(さき)に説きたもう所の法華経の二十千万億の偈(げ)を聞いて」とあり、明らかである。

日月浄明徳如来(にちげつじょうみょうとくにょらい)。薬王菩薩本事品第二十三に「爾の時に彼の仏(日月浄明徳如来)、一切衆生意見菩薩、及び衆の菩薩、諸(もろもろ)の声聞衆(しょうもんしゅう)の為(ため)に法華経を説(と)きたもう」とある。

㈡ 三種の法華経

法華経には、前述のごとく、在世および正法時代の法華経、像法時代の法華経、末法時代の法華経の三種がある。

釈迦一代の諸経をみると、阿含部・方等部・般若部・華厳部・法華部と五時に説かれた教典中、法華経が最大一の教典であることは、釈迦自身も述べている。すなわち、法華経法師品(ほっしぼん)第十に「已(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説かん。而(しか)も其の中に於いて、此の法華経、最も為(こ)れ難信難解(なんしんなんげ)なり」とあり、法華経安楽行品第十四には「この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵(ぞう)なり。諸経の中に於いて、最も其の上(かみ)に在り」と。このゆえに釈迦仏法の滅した今日においても、法華経といえばこの釈迦の法華経以外にはないと思われていることは前述のとおりである。たしかに釈迦在世および正法(しょうほう)時代時代の法華経は、釈迦の二十八品の法華経であった。つぎに、釈迦仏法の中ではあるが、像法時代における法華経とは、天台の摩訶止観(まかしかん)であり、理の一念三千を説く法華経である。また末法時代の法華経とは、日蓮大聖人の顕された七文字の南無妙法蓮華経をいうのである。しかして、
日蓮大聖人の法華経は釈迦や天台の法華経とはまったく違い、より本源的なものである。開目抄上に「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」と仰せになり、また観心本尊抄には「彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但(ただ)題目の五字なり」とも仰せられているように、文底下種・事行の一念三千の南無妙法蓮華経をいうのである。
以上のように、釈迦・天台および日蓮大聖人の法華経を三種の法華経と云うが、そのもっとも根本になるのが三大秘法の南無妙法蓮華経なのである。ゆえに法華取要抄に「諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり」とある。

日蓮大聖人と法華経

釈迦の出世の本懐は、法華経二十八品を説き、釈迦に縁のある衆生、すなわち釈迦在世および滅後正像2千年の衆生を救うことにあった。

日蓮大聖人の出世の本懐は、文底下種の南無妙法蓮華経の御本尊によって、釈迦仏法に結縁していない末法の衆生を救済することにある。

しかして、釈迦の法華経と、日蓮大聖人の法華経すなわち、七文字の南無妙法蓮華経とを比較するならば、天地の相違がある。

本因妙抄には「仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり、彼の一品二半(いっぽんにはん)は舎利弗等の為には観心たり、我等・凡夫の為には教相たり、理即・短妄の凡夫の為の観心は余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり」とある。ゆえに、日蓮大聖人の法華経を文底独一本門の法華経というのである。しかし、世間は日蓮大聖人が仏教中、法華経を第一と立てられ「法華折伏・破権門理」のごとく法華経をもって諸経諸宗を破折されたのを見て法華経の弘通を御一代の眼目であったかのように考えたり、あるいは、外用(げゆう)の辺のみを見て、日蓮大聖人を釈迦の使いである上行菩薩の再誕として法華経を広めたのであると考えている者が多い、それらは未だ法華経と日蓮大聖人の真意を究めない謬見(びゅうけん)である。日蓮大聖人が法華経を第一として立てられたのは一往の義である。当時の世情は、法華経を捨て、念仏・真言等の諸宗が、はびこっていたので、化導の順から、まず法華経を立てて、諸宗の謗法を破したのである。ゆえに日蓮大聖人の御本意は、決して法華経二十八品の弘通びあったのではなく、観心本尊抄に「此の時地湧千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮堤(いちえんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し月支震旦(がっししんたん)に未だ此の本尊有(ましま)さず」と仰せのように、釈迦も天台も伝教も未だかつて顕わさなかった三大秘法の御本尊を末法にはじめて建立されることにある。、、、、、略

㈣ 釈迦出世の本懐・法華経

釈迦は成道後、四十二年間、小乗経・権大乗経の爾前経を説き、衆生の機根の調熟(じょうじゅく)を待って、はじめて八年間にわたり実大乗経の法華経を説いた。このことは無量義経説法品第二に「善男子(ぜんなんし)、我先に道場菩提樹下に端座すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成ずることを得たり。

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