感銘した言葉
すばらしき仏法の教え
感銘した言葉
指導メモ
指導集・質問に答えて
指導要言集抜粋
生命の本質論
法報応の三身常住
私が学んだ仏法哲学
仏法で説く幸福論
法華経について
寿量品
宗教の実態を知る
立正安国論講義より
日蓮大聖人
病気の原因は
感銘した言葉(ある実践哲学者の言葉)
歴史は人間の心の映像 。 [#xc561e1e]
自然は「生命」が輪のように連なっている。
自然は人類の「ふるさと」
いかなる国家・社会・団体も「未来の勝利」のためには、現在の「精神の勝利」が根本である。
人生の敗北とは何か、それは、失敗することではない。失敗したり、落ち込んだとき、そこで自分をあきらめてしまう事です。「再び立ち上がらないこと」こそ、敗北なのです。
人は、いつか死を迎えます。死ほど確実なものはない。
死をどうとらえて、日々をどう生きてゆくか、いかに深き時間を、いかに深き人生を生きるかーこれこそ最大のテーマです。
「一人は全体のために、全体は一人のために」
「君が愁(うれい)に我は泣き、我が喜びに君は舞う」
人間の社会は、最後は「心」です。お金でも、立場でも、名誉でもない。心の世界なのです。
だからこそ「真心(まごころ)には真心で応(こた)える」ーそこに徹していきたい。
夫婦にとって何より大切なのは、“感謝する心”と“共通の目線”ではないかと思う。
もとは他人同士のふたりである。一緒に生き抜いていくと決めた、いわば共同体としての”責任”と”信頼”と”励まし合い”が自然のうちに、心と心を結ぶ、美しくも強い絆となっていくのではないだろうか。
「自然と語り合う」ことによって、本当の自分というもの、生命というものが見えてくる。
民衆運動の指導者たるもの、自身も良心に照らして恥じることのありやなしを常に問え。
これは単に油断を戒める言葉ではない、過去、民衆の利益を掲げた運動がいつしか堕落し、滅び去っていった、幾多の歴史が語る真実である。
「魅力ある人間」というのは、”自分は自分だ”と堂々と胸を張っている人間です。そして、自分と違う人の長所を、素直に尊敬し、愛せる人間です。
人生の目的は何か。「勝利者」になること、「幸福」に成ることだ。
では「幸福」とは何か。その中身は「充実」です。充実のうえに、自分なりの満足の栄冠を勝ち取ることです。では充実とは何か。「苦難」と戦うことです。苦難がなければ充実はない。充実がなければ幸福ではない。何の苦労もない幸福など、どこにもない。
「攻め」の一念になれば、どんなに不自由な環境であっても「自由」な自分になれる。
自由とは、遊ぶことではない。浪費することではない、時間があることではない、休日が多いことではない。気分のままに生きるのは「放縦」であって「自由」ではない。
苦労してきた人ほど、最高に幸せになる権利がある。とくに晩年が、本当に満足した、本当に幸せだったということが、大切なのではないだろうか。
「楽観主義」とは、なんとかなるという無責任とは違う。苦しみに負けない。貧乏に負けない。非難中傷に負けない。何があっても。「何だ、こんなことぐらい!」と、はね返す強さ。希望に向かって前進する意志の力。これが楽観主義である。
本当に良いものを見抜く力は、一流と接してこそ養われる。美しい、素晴らしいと感ずる素直な心が重ね合わさって、感性が磨かれていく。人格の陶冶(とうや)においても、同様であろう。一流の人格に接し、打ち合い、心を響き合わせる事だ。
いつも、心を「太陽」に向けて生きよう。困ったことでも笑でふっ飛ばそうーそうした前向きの朗らかな一念が、人生を変えていく。成功と勝利をもたらす原動力となるのである。
人生は、「これ以上は無理だ」とあきらめる自分、「もうこれくらいでいいだろう」と妥協しそうになる自分との戦いである。「断じてあきらめない」「断じて負けない」と、自己との闘争に勝ち行くことだ。
「一日を一週間に!」という決意を毎日の習慣にしていくならば、百年たらずの人生でも「何百年の価値」をつくることが出来る。
人生にはいろいろなことが起きる。常に変化、変化である。結局、大事な事は、何があっても負けない事。戦う事。希望を失わないことである。
青空を見て、「ああ素晴らしいな」と思う。川のせせらぎに聞きほれて、耳が洗われたような気持ちになる。その心が、「美」を愛する心であり、芸術・文化の心なのです。決して特別のことではない。本来、一流の芸術も、自然と同じように「人をくつろがせたり」「生命力を与えてくれる」ものなのです。
人類が進歩し、人間らしい生活を求め、「花を咲かせていきたい」という気持ちから生まれて来たのが、文化・芸術です。生きることは苦しい。バラの木のように、トゲがある。芸術・文化は、その木の上に咲くバラの花です。
美術は人類の最極の、平和への魂の昇華なり。
芸術は、特別の人だけのものではない。人を育てるのも芸術です。自分を育てるのも芸術です。美しい人生、美しい行動、美しい祈リ。全生命を燃焼させながら、人間らしく、美しい心と心を結んでいくことは、素晴らしい平和の芸術です。
写真は哲学の絵である。生命の事象、生生流転のドラマを伝えるのが写真芸術である。”瞬間”の生命には”永遠”が凝結している。瞬間の中に、その人の人間性、過去と未来、宿命、人性のドラマなどの実相
が鮮やかに映し出されていく。写真とは、その”永遠なる瞬間”をとらえ、表現する芸術ではないか。
私は思う。生命が、まさしくカメラである、と。生命は瞬間瞬間にパッパッと、シャッターを切っている。生命に刻んだ鮮烈な思い出は、映像とともに永遠に色褪せない。ゆえに、自分の生命のレンズを磨かないと写真は撮れない。
大切なのは、生きているうちに、どれだけ「生命の質」を高めることが出来るかです。長く生きることだけが、長寿ではない。たとえ短命に終わっても、充実した生をまっとうできれば、その人は、手ごたえのある人生を生きた分、長寿といえるでしょう。
自分中心 つまり心を師としているかぎり、悩みは尽きない。そうではなく、心の師となって、自分の一念を、明るいほうへ、楽しくなるほうへと向け周囲もその方向へ向けて行くことです。
誰に対しても「同じ人間として」付きあえる人こそ、「優秀な人」であり、本当の教養がある人です。自分の人間性が豊かな分だけ、他人の中にも人間性を発見できる。人をいじめたり、威張ったりする人間は、その分、自分の人間性を壊しているのです。
重要なのは、「それまでどう行動したか」にあるのではない。「これからどう行動するか」にある。
人の気持ちが解らない人は、ほんとうのリーダーにはなれない。今の社会の不幸は、人の気持ちがわからない指導者が多すぎることです。悲しみと苦痛が、自分という大地を耕してくれる。そこから「人を幸福にしたい」という美しい心の花が咲くのです。
芸術の世界でも、スポーツでも、企業でも、トップに立つ人は、「努力!努力!努力!」である。努力はウソをつかない。苦しんで、努力して、真剣に戦い抜いた人が勝つ。これが人生の鉄則であり、道理である。
「桜梅桃李」(おうばいとうり)桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく、李(すもも)は李らしくという言葉がある。それぞれの個性や違いを認め合い、よいところを見つけ、ほめたたえていける、そういう広い心があれば、その人のもとには、人が集まる。
他人の痛み、苦しみを感じることができない、、、それは石のように固く冷たい心です。
古今の文学は、人間の「心から心へ」差し伸べられた橋です。どれだけ橋を渡るかで、自分の中身が決まって行くのです。
一冊の良書は、偉大な教師に巡り合ったのと同じです。読書は「人間だけが出来る特権」であり、いかなる動物も読書はできない。自分の人生は一回きりだが、読書によって、何百、何千のほかの人生に触れることもできるし、二千年前の賢者と話も出来る。
「波浪は障害に遭うごとに、その堅固の度を増す」という。偉大な事業をなすためには、幾多の障害があって当然で、そのときこそ、自らが逞しく鍛えられ、光り輝くことを忘れてはなるまい。実に苦難は、人生を闇から暁へ、混沌から秩序へ飛躍させていく回転軸なのである。
何でも自分の思う通りになってしまえば、最後は嫌なことをいつも避けるような弱々しい人生の敗北者となる。環境に恵まれていることが、かえって不幸への道を開いてしまうことがあるのです。
ただ「みんなと一緒であればいい」というのは、勇気ではなく、臆病だ。民主主義ではなく、ファシズムです。民主主義というのは、民衆一人一人が「自分が社会の主人公だ。自分に責任があるんだ」と自覚しなければいけない。
「自分のもてる力を、全部、出しきって生きてみよう」と決心して、努力また努力を重ねた人だけが、本当に「個性的」に輝いてくる。そう言う人であってこそ、他の人の個性も尊敬できるし、大切に出来るものです。
「幸福」を「快楽」とはき違えたところに、教育をはじめとする戦後の日本社会の最大の迷妄があったと、私は思っております。そのはき違えのおもむくところ、「自由」は「放縦」や「勝手気まま」に堕し、「平和」は「怯懦」(きょうだ)や「安逸」(あんいつ)に堕し、「人権」は「独りよがりに」、「民主主義は」「衆愚主義」にと堕してしまう。
つくられたイメージを受動的に受け取る環境ばかり身を置いていると、能動的な諸能力、考える力、愛し共感する力、悪に立ち向かう力、信ずる力等、総じて内発的な精神性が、どうしても衰弱していってしまいます。
人生全体の総決算は
いかなる人生であれ、究極的に帰着するところは、人間として、どのように生きるか、ということである。言いかえると、人間として幸福であったかどうかということが、その人の人生全体の総決算となる。これは男性であろうと女性であろうと、いかなる職業であろうと、身分や立場がどうであろうと、変りはない。
笑顔は進歩、愚痴は退歩
経験上、明るい笑顔の女性は進歩し、愚痴っぽい女性は退歩すると思う。笑顔は生命に余裕と活力を与えて進歩へ導くからだ。
生命は完全燃焼を求める
生命は、常に完全燃焼を求めてやまない性向を持っている。問題は、いかなる理想、いかなる対象のために、燃焼するかである。
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