日本の自然風景写真

私が見た、撮った、日本全国の美しい自然を求めて20数年 兵庫県在住 アマチュア写真家 植田

四、天理教

四、天理教

強信の果ては

「屋敷を払うて田売り給え天貧乏の命」と冷やかされているように、強信者(ごうしんしゃ)は一様に財産を失い貧乏のどん底におちている。これは世間にかくれもない事実だ。なにしろ入信早々から徹頭徹尾しぼり取られるのだから、それも当然であろうが、天理教信者160万人、約三十五万世帯(文部省調べ、当時)の前途に、この運命が立ちふさがっているわけだ。それとも知らず、この人々は朝夕も勤行に踊りを踊って、邪神を頼りに暮らしている。

献金主義

天理教本部のあの豪しゃで広大な殿堂、校舎は、みな信者の献金とヒノキシン(無償の勤労奉仕)によって建設されたものである、また維持費をはじめすべてがそうだ。年間予算を見ても昭和三十三年度は八億六千四百万円、七十年祭の時には実に五十億円の予算だったという。この経費は大教会、分教会と天下り、やがて信者に献金のオハチがまわってくる。分教会の数は全国で約一万五千、分教会長は信者のオツクシ(献金のこと)で生計を立て教会の運営も図る。各分教会には布教師が数名いるが、彼らの大部分は分教会長から生活費を支給されるているため、外交員よろしく目標額達成めざして集金に追い回されざるをえない。これら一切合切を背負わされる信者の負担額を計算したら、一体どの位になるだろう。

天理王の命

天理教は天保九年に農夫中山ミキが四十才の時、魔と感応して開いた邪教で、天理王の命なるものを仮定し、親神と称して崇める。この親神は「万物に生命をさずけた元の神、実の神」とかで、我々人間も「陽気暮らしをさせたいとのおぼしめしで作られた」のだそうである。この”陽気暮らし”が天理信仰の究極であり、修行の目的である。しかし、そんなに慈悲深い神様なら中山ミキの身体に天下るまで、一体どこで何をしていたのやら、天保以前の民衆はどうやら見捨てられていたようだ。となると、実に無慈悲この上ない悪神ということになる。

因縁の理

彼らはまず信者にミタマ(鏡)を祀らせ、この陽気暮らしの出発点として「因縁の理」を説き、これをオサトシと称する。一例をあげれば、癌になると「ガンコで素直でないから」眼病を患うと「目上の人をバカにしたから」子供が発熱すると「夫婦の心のすれ合いが原因」頭痛が起ると「頭(ず)がたかいから」等々どれもこれもナンセンスな語呂合わせで、コジツケもここまでくると滑稽だが、立正佼成会がこれを輸入して平気で使っている。これでも仏教の因果律と同格のつもりらしい。そしてこの因縁を切ろうとすれば、さらにオツクシが必要となる。上げきった果ては無一物になって教会で一生養われて終わる人も多い。教会へ住み込んでハン天姿で働いている人たちがそれで、いわゆる「最後は身でツクシて」いる姿である。

陽気暮らし?

しかし、よくなるどころか悪化する一方で、教えとは逆に段々深刻な”陰気暮らし”に変わっていく。苦しさは一層つのるから、疑いをもったり不平を云い出す者がでてくるのは当然である。すると「心遣いが悪いからだ」と教訓される。即ち彼らはこの「おしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」の八つのホコリを掃除しない限り幸せになれないという。これは誰にでもどんな場所でも際限なく適用できる仕組みの論法である。そして最後に教えられるのが「たんのうの理」だ。「どんな苦しみも悲しみも親神の心一つであればガマンしろ」しかして「陽気であれ」と、、、このように天理の教えは徹底して人の理性をゴマ化し、人間性を抑圧している。

身はかりもの

教典「おふでさき」には、「人間というものは、身はかりもの、心一つがわがもの」と実に教えも説かれているが、天理教信者になったら身に大けがをしても、身はわがものじゃないから、といってすましておられるのだりうか、わがものだからこそ身にも心にも痛みを感じようし、手当に力をつくしもしよう。肉体と心は言葉では分けても実際には分けられるものではない。低劣、不合理、不自然の見本で、あえて日蓮大聖人の「色心不二」の御法門と較べるまでもない。

弘まったわけ

こんな他愛もない教えがどうして全国的に弘まったのだろう?。
一、民衆の宗教に対する無知。
二、広大な建物で荘厳して人の心を驚かせる手を用いた。
三、宗教行事に名を借りた慰安行事で恵まれぬ下層生活者(信者)を魅惑してきた。
四、毎日の起居動作を幼稚な「おさとし」で事細かに理屈づけた。
五、「おさづけ」と称して指導者が病人の前で祈禱を行い、それで病気がなをる場合がある。
六、不幸を不幸と感じさせぬ邪宗教特有の思想訓練。大きな理由はざっとこんなだが、いずれにしても天理教の行っていることは、神の美名にかくれた大々的なサギ行為である。もし信者の中に冷静な心を失わないでいる人があったら、入信当初と現在の生活を比較してみるがよい。余りにもみじめに変わり果てた自分の姿、生活にびっくりすることだろう。」

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