日本の自然風景写真

私が見た、撮った、日本全国の美しい自然を求めて20数年 兵庫県在住 アマチュア写真家 植田

二、キリスト教

二、キリスト教

二、教義の一例

キリスト教は、唯一絶対神がすべてを造ったと説く。そして神とは、全知全能、完全であり、愛であり、善であり等々といっているが、大体その神の実体、存在の因果などは全く明かされていない。もし本当に完全な神が人間を造ったとすると、生まれながらの不平等や、一生不幸の宿命に泣く人々の存在など一体どう説明しようとするのであろうか。三世にわたって生命の因果を説き明かした仏法と比べて、キリスト教の生命観は、実に低劣なのである。キリスト教は罪を重大視する。人間の不幸の原因は原罪(アダムとイブが堕落した罪)によるとして、人はみな生まれながらに罪人だと決定し、それに世間法も国法もみな罪の範囲にいれて、それを消すために告白という形のざんげをさせる。しかし、すべての罪・不幸は、妙法蓮華経の宇宙の法則に反した、即ち謗法(ほうぼう)を因としておこっているものである。自らが造ってきたものである以上、必ず自分で受けて消して行かなければならないのが、公平な因果の法則で、単なる告白や、他人を愛したり許したりする事で罪が消える道理はなりたたない。ただ正法を信じた功徳だけが、その罪を軽くすることができるのである。
愛という問題についてはどうであろう。キリスト自身が聖書の「山上の垂訓」の中でのべているが、自分を愛する者を愛して何になろう、天の父のように完全愛を持てというのである。これもはなはだ無理な注文で、人間には愛するという心と同時に、憎むという心の働きも備わっている。キリスト教ではそれをおさえて、努力して愛せよというのである。仏法では慈愛を強調して、他を救おうという行動の中から、自然にわき上がってくる本然の心の状態を慈悲として説くのであって、これとくらべてキリスト教の愛は、まったく偽善的であり弱々しい。証拠は「汝の敵を愛せよ」と叫ぶキリスト教徒自身、たえず争いをくり返してきたし、キリストの贖罪愛(しょくざいあい)で一切の罪は消えたはずなのに、地上の悪事は増えこそすれ一向に減らないで複雑多元化してゆく現実である。

三、生命に関して

さらに、宗教の究極である生命に関して、キリスト教では、まったくお話にならない教義をたてている。まず紀元前四年に誕生したキリストの母は処女マリヤ、父は神であったという。そして三十才ではりつけになったキリストは、三日目に復活し、一カ月後には昇天している。単なる科学の常識から考えても誠にバカらしい話であるが、キリスト教では、これをそのまま信じている人もあれば、宗教上の一表現として、合理化した解釈を立てたりしている。しかし、どんな理屈をつけようと、宗教の教義は万人の納得する普遍妥当性のある哲学でなくてはならない。仏法は生命とは何か、死後はどうなるのか、現在の幸、不幸は何によって決まったのか、こうしたあらゆる生命の状態を、因果の法則の上から説き明かし、その上で現在の宿命を打開し未来の宿命を開いて行こうとするものである。どちらが正しく、どちらが科学的であろうか。ましてキリスト教の天国など、仏教にあてはめると方便権教(ほうべんごんきょう)の念仏でいう西方浄土の架空のたとえ話にすぎない。死んでから行く天国など、まったくのつくり話である。

四、現状

本来キリスト教はユダヤ教から出たものであるが、現状はカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)が大きく対立している。新教徒は、十六世紀の始めごろ、腐敗堕落した教会の粛正を唱えたマルチンルッターの宗教改革で破門された一派であるが、その新旧教会内もまたバラバラで、事実四十に近い派が争っているといわれている。しかし、結局こうしてキリストが、神とか愛とか善とか罪とかいって、ちょうど何ものかの幻影追うかのように、いたずらに求めつづけているものの本体は、実はそれこそ、南無妙法蓮華経の御本尊それ自体であり、日蓮の説く生命にほかならない。大聖人が七百年前にこれを濁世の世に残されたにもかかわらず、その根本を知らずますます実生活とかけ離れた観念の邪義をかまえ、法の無力をカバーするために盛んに社会事業を行って民衆を迷わせているのが現在のキリストだ。

五、いくつかの疑問

最後に次のような矛盾をキリスト教ではどう考えているのであろう。
一、信ずる者しか救われないというのに、迷える者を救う義務があるといっている矛盾。
一、敵を愛せよというキリスト教が、教会に対立したガリレオ等多くの科学者を迫害してきた事実。
一、日本のキリスト教の町、長崎に、真先に原爆が投下された事。
一、大聖人は竜の口で命に及ぶ難に勝たれたが、キリストの死は悲惨極まる横死であった。
一、キリストの予言は一つとして実現していない。
一、世界教会運動が提唱されているほどの内部不統一は、教義が無力だからではないか。
一、清貧、精神愛を説きながら、ローマ法王庁が示して来たぼう大な権力、圧政の歴史。
一、キリスト教各派中どれが正統正義のキリスト教か?他派は皆邪義をかまえキリストに背く罪深き人になる道理だが、、、、、。

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