日本の自然風景写真

私が見た、撮った、日本全国の美しい自然を求めて20数年 兵庫県在住 アマチュア写真家 植田

三、俗信

三、俗信

① イナリ信仰

イナリは、ちょっとした町工場や農家の庭隅にまつられているだけでなく、デパートや高層ビルの屋上にまで祠(ほこら)をかまえ、花柳界や水商売の人や、商人、政治家の間にも、広く信仰されている。なぜ今日このようにまで流行したのであろう。それは「豊臣秀吉が百姓の小倅(せがれ)から天下を統一できたのも、田沼意次(おきつぐ)が一小吏から大名、老中にまで出世できたのもイナリを信仰したおかげだ」などという風説があった。ここへもってきて、金儲けにかけて抜け目のない邪宗の坊主や神主たちが「イナリは開運の神様である」などと宣伝したので、出世欲や商売繁昌を願う政治家や商人たちが、この宣伝にひっかかって、われもわれもと信仰するようになったのである。これらイナリの信者でも、午(うま)の日にだけお詣りに行くていどの単純な信者が人数も多い。このていどの信者の他に、イナリにこりかたまった信者も、多く巷に見聞きするが、その害毒は本当に怖い。二、三の例をあげてみよう。この信者たちは、経木に油あげや紅白のモチをのせ、キツネの像にそなえて願いをかける。中には少しでも自分の頭を良くするつもりなのか、自分の頭とキツネの頭を、かわるがわるなでては拝んでいる者もいる。このイナリを一生懸命拝むと、口はとがり目じりはつり上がって、顔だちや体つきまでキツネにそっくりになり、ぴよんぴよんととんだり跳ね上がったりし、油あげがあれば一目散にとんで行く。いわゆる「キツネツキ」とよばれる精神異常者になってしまうのである。あるいわまた「私の神経痛はどうしたらなおせますか」とおうかがいを立てる信者に対し、半狂乱に神がかった”行者”が「ヘチマに自分の名前を書いて海へ流せ、決して後を振り向かないで家へ帰ってこい」などとお告げをする。こんなバカバカしいことをやっても、行者の祈祷で、時には一時的にはなおることもある。「あな大した御利益」よなんていっているうちに、どんどん盲信の奈落へ落ちていき、はては気狂い、一家離散して、取り返しがつかなくなる。ところで、このイナリの正体は何だろう。一般にはあまりよく知られていないようだ。イナリには神社のイナリと寺院のイナリの二種類がある。神社系の代表格は「稲の神」を祀るといっている京都の伏見イナリであり、日本で稲作の農業がひろまって行ったころか、奈良時代の初期(約1千2百年前)といわれている。
一方、寺院イナリの方はダギ二天を本尊としているが、これは弘法大師が唐から帰朝して後、真言密教を広めるために、民間信仰に迎合して自己の勢力拡張をはかったのが、その始まりだという。しかし、この稲の神といったところで、まだダギ二天などはもちろんのこと、いずれも今やっている連中の拝む正体は「キツネ」であり、単なる畜生であるのみならず、その本質は人のいのちをむしばみ不幸にする”魔”以外のなにものでもない。邪教といえども、小さな目前の利益があることもあるが、こんな小利で人をだまし不幸にするイナリは本当に恐ろしい魔のすみかである。

② 鬼子母神

今日、中山の法華経寺、雑司谷(ぞうしがや)の鬼子母神堂など日蓮宗各派では、盛んに鬼子母神をまつっている。そして「鬼子母神の像の前で法華経を読めば、安産、厄除け、虫封じにきく」と祈禱を看板にしている。鬼子母神は次のように言われている。昔インドに訶利帝薬叉女という女がいて、一万人の子があった。その女は常に人の子を見ると取って喰うという鬼女である。人々がうれえて仏に訴えると、仏が衆生をあわれんで、鬼女の最愛の一子を隠した。薬叉女は子供がいないのに気付いて狂気のように探したが見当たらず、遂に仏の前へ行って尋ねた。その時仏は、お前は沢山の子があっても、一子を失ってなおその苦しみがある。世間の人はその大切な子供をお前に殺されたのだと説く。そこで薬叉女は自分の非をさとり、」仏に帰依した。これは人の母性、つまり人の子を殺しても、自分の子を可愛がる性質をあらわしたもので、人の精気を喰う悪鬼たる鬼子母神も、法華経へ来て成仏し、善鬼として法華経(大御本尊)を持つ者の守護を仏に誓うのである。これは法華経陀羅尼品に説かれている。このように鬼子母神を本尊とすることは、とんでもない誤りである。まして中山のように鬼子母神と陀羅尼と結びつけて祈禱するなど、まったく天魔の行為であるといわなければならない。そこに祀られている像は形こそ鬼子母神であるが、その正体は魔であり、これに向かって題目をあげたり、陀羅尼をとなえれば、魔に感応して、小利益こそあれ、生命を損い悩乱して、不幸におちてゆくのである。

③不動信仰

最新型タクシーの運転台に、「成田山」のお守り札がぶらさがっているのは、誰でもよく見かけるところである。「そのお札は効き目があるかね」「いやあ、会社でつけてくれるんでね。別に信じているわけじゃないですがね」という具合に「交通安全」のお守り札は成田山が幅を効かしている。戦時中は、「戦勝祈願」で年間二千五百万の参詣があったという。戦争に負けた昭和二十三年にはパッタリと減って三十万、さすが効き目のないのに気が付いたらしい。ところが最近では再び四百万、今はもっぱら交通安全と商売繁昌へと平和的に転向というわけであるが、交通事故は減るどころか年年商売へと平和的に転向というわけであるが、交通事故は減るどころか年年増加、お守り札の売れ行きと比例している。この成田山の本尊は不動明王とされているのだが、本当に不動明王が、一体いつから交通安全を引き受けたのだろうか。成田山の由来をみると、江戸時代に成田山仁王寺門の修復があった、その時大工の辰五郎が五丈余の足場から落ちたが、体につけていた成田山の門鑑(通行証)が割れただけで助かった。いらい、この門鑑を形どってお守りとしたという。全くの迷信である。薄い杉の柾目板だから、ちょっとしたはずみで割れる。割れれば「お不動さまが身代りになって助かったのだ」とありがたがる。こうして売れるお守りが、年にざっと百二十万枚というから恐るべきである。成田さんに限らず、どこの不動さまも、祈祷札お守が売り物である。不動信仰につきものは護摩である。一回二百円、大護摩となると二千円以上もする。この護摩修法はもとを正せば印度の外道バラモンの修法、これを真言宗が密教の修法としてとり入れたが、真言の敵国調伏(ちょうぶく)の祈禱で、かえって身を滅した史実は実に多い。「真言亡国」といわれるゆえんである。この護摩も成田山あたりでは年間七十万枚、芸能人や力士の年男を傭つて派手な節分の豆まき、電車広告に懸命な理由もよくわかる。その他、災難よけ、商売繁昌、病気平癒の祈禱を看板にした不動が各地にある。目黒不動、大岩不動、波切不動等々など。こうした不動を祀ってあるのは多くは天台・真言宗の邪宗教が多い。内容はどれも俗受けのする霊験話、伝説で飾り立てられたものばかり、教義も何もない、迷信である。不動はもとはインドの神様で仏法守護の明王として生死即涅槃を表示しておるもので、本当に不動明王の加護を望むなら正しい仏法を持つ以外にない。

④地蔵信仰

都会の一隅に建った小さなお堂、田舎の村道に色あせた赤いヨダレかけをつけた石造と、日本中いたる所にみられるのは地蔵である。四の日の縁日には誰ということなく、線香や華、オムスビにダンゴと供物がささげられている風景はよく見かける。地蔵について、くわしいことを知る人は少ない。世間では、地蔵菩薩はみんな救われるまで成仏を願わず、道ばたに立ちつくすとか、賽の河原に遊ぶ子供たちを守護するとか、冥途(めいど)でエンマに罰せられるのを救ってくれるなどといっている。しかしもともと地蔵は印度の神様であり、バラモンの地天(地神)として、大地を崇(あが)めたものであった。仏教の中では、「地蔵菩薩本願経」「地蔵十輪経」「地蔵十王経」などがあるとされているが、後世の偽経といわれている。たとえ釈迦が説いた経文であるとしても、バラモン化導のために方便(ほうべん)として用いた爾前経の一つで、末法には何の役にも立たず功徳はないのである。その他霊験ばなしは、各地さまざまであり、呼び名も数多くある。延命地蔵、子安地蔵、とげぬき、足洗、いぼとり、首切り、雨降りと、それぞれに因縁話がついている。その一れいをあげると、むかし毛利家の女中が針をのんで苦しんでいたとき、地蔵の絵姿をのんだら、針がくるまって出てきた。(巣鴨とげぬき地蔵)いらい地蔵を印刷したオスガタをはるとトゲが自然にぬける。地蔵を洗った水で病気の部分を洗うとなおる(足洗い地蔵)とか、まったくの迷信ばかりである。立身開運、家内安全などの御利益も、宣伝ばかりで根拠がない。もし地蔵がいたとしたら、御本尊を信ずる者を守護する役目こそすれ、末法の衆生が地蔵を信仰の対象にえらぶのは間違いである。大聖人も「顕謗法抄」の中で、今どき地蔵やアミダを信ずる者は、すべて無間地獄におちると強く仰せられている。

⑤観音信仰

地蔵と並んで全国いたる所に民間信仰としてあるのが観音である。有名なものには浅草の観音、清水寺観音を始めとする西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十三所の巡礼などで知られており、その種類も聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、准胝観音、如意輪観音、などがある。この観音信仰は日本では仏教渡来とほとんど同時で、聖徳太子の法隆寺夢殿観音、聖武帝の百七十七体像など早くから弘まった。その特色は何といっても、あのやさしい慈悲をたたえた、なんとなく救ってもらえそうな有難味を感じさせる画像・木像である。観音の像は信仰というよりも一種の芸術的な発展をとげてその色相を飾った。しかしいかに有難そうに飾られても、木絵になった観音には人を救う神秘の力はない。大聖人が観心本尊抄(御書246ページ)に「詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏、木画二像の本尊は有名無実なり」と仰せの通り、いくら拝んでも幸福にはなれないのである。それでは経文ではどうなっているだろうか。まず阿弥陀仏の脇士として観音・勢至がある。また、真言宗でも両界曼荼羅の中にいれている。これら法華以前の諸経はいずれも方便のためであり、権教(ごんきょう)だから、用いるわけにはいかない。俗に観音経と呼ばれて尊ばれているのは、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」で、ここでは衆生が諸々の苦悩を受けている時に、観世音菩薩の名をとなえれば、即座にその音声(おんじょう)を観じて、みなその苦悩から解脱(げだつ)することができると説かれている。それも観世音普門品の利益(りやく)は寿量品の自我偈の残りかすであるといわれ、寿量品の方がはるかにすぐれている。しかもこれはあくまで法華経文上(もんじょう)で、末法)(まっぽう)の我々には何の利益もないのである。観音は迹化(しゃっけ)の菩薩であり、今末法は本化地湧(ほんげじゆ)の菩薩の働くべき時である。御義口伝(御書776ページ)に、「今末法に入って日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり」との仰せの通り、今ごろ観音を拝んでも何の利益もない上、観音に執着して正法を誹謗すれば、かえって不幸を招くのである。

⑥その他

帝釈さま

もとは忉利天の主の帝釈天。十二天の随一で、梵天と共に仏法守護の諸天善神である。しかし日本に入ってきて、帝釈さまとして祀られるようになると、まったく邪宗教の商売看板にされてしまっている。帝釈を祀る所は多いが、いずれも占い、祈禱、虫封じを専門にした邪教と化している。

荒神さま

この荒神様も日本へ来ては、カマドの神様として、台所のすすけた所に真黒になってまつられている。また地の主・屋敷神として祀ってある所もある。荒神の本名は三宝荒神、仏法僧の三宝を守護するのが、その本来の使命なのである。

こんぴらさん

古来、海の守り神として崇められ、江戸時代には一生に一度のお伊勢まいりと、金刀比羅まいりを念願とするといわれるほど流行した。金刀比羅
とは、元の意味はインドガンジス河に住む鰐(わに)のことで、インドでは王舎城の守護神とされていた。四国のこんぴらさんは神仏混合によって、今は大物主命を祭神としている。その他竜神、水天宮等水に関係ある神とされているが、正法を信じないで、これらの神をあがめれば不幸になる。

えびす・大黒さま

日本では福の神の代表的なものとされている。大黒天はもともと仏教守護の神で降魔忿怒相の戦闘神と施福愛楽相の二様あった。そのうち飲食を豊かにするインドの神様の方が日本人にうけて、渡来してから、いつのまにか大きな袋をせおった大国主命にすりかえられてしまった。さらに室町時代末になると、全然関係のない「えびす」(事代主命とも海浜の神ともいわれる)とだき合わせで、一対の福の神として流行した。七福神というのも日本で作られたもので、えびす、大黒に毘沙門天、弁財天など一群の福神がよせ集められ、邪宗の寺院に一つづつ祭って七福神詣などと宣伝、邪宗の金もうけの道具につかわれていた。

山の神

これなどは拝む対象もなく。漠然と信じられている全くの俗信で、山へ行けば山神、海へ行けば海神がいると信じている。そのため木材の切り出しや出漁に、厄日をもうけたりしている。農家では「タガミサンをまつってこんか」といって、田におみきや赤飯などをそなえている。その他、井戸神、なんど神、便所神などがいると信じられているが、これらはいずれも、まったくの迷信である。

占い

占いの種類には、① 比較的根拠のある、人相・手相・骨相等。
②常識的な姓名判断。③何らの根拠もない低級な思想から、さらにゆがめられた家相、墓相、方位、五行九星、易 ④上記の他に、マジナイ、通力等による透視術、千里眼、辻占、歌占、石占、コックリサマ等がある。しかし総体的には、すべて真に幸福な生活を実現するには、何の役にも立たないものばかりである。

人相・手相・骨相
わが国のは主として中国式のものが多い。近来、西洋の骨相学が併用されるようになった。顔・手・骨格等がそれぞれの線やフクラミによって、その人の吉凶禍福を表すというが、統計上からみて大体どういう形をしているものは、どういう性格であり、特徴であるかということは、ある程度根拠があるといえる。しかし示された傾向を、どう取るかが問題である。人相・手相の面でこう出ているから、自分はもうこれしかできないとか、またはこれによって自分は絶対に幸福になると、それを自分の人生の最高指針とすれば、とんでもない誤りを犯すことになる。なるほど、その人の傾向を示すものだとはいえ、現在のことだけかまたは、わずかな未来のことしか知られないし、ましてや人智を啓発する教えを伴わないのだから、本当の意味での人心の指導はできぬ、真に不幸の原因を教え、未来幸福の方法を人に与えるものではない。

生命判断
あんな名前のつけ方だから、運が閉じてしまうのだとか、劃数が合わぬから、この人は不運な目にあうんだ、これは改名した方が良いなどという事を、よく聞くことがある。これはもちろん迷信である。そんなことがあっては、たまったものではない。姓名学はあまりデタラメナ名前をつけるなということだけである。男か女か判断できぬ名前はおかしいしし、姓と名字が全然意味のとれない、、、名前なんかどうでもよいといって、悪太郎とか、ガキ造とか、石川姓に五右衛門とかつけたならば人からいやしまれる。やはり良い意味をもった名前をつけようというのは、親の子に対する愛情で、この意味においてのみ容認せられるものである。それ以上に開運だとか閉運だとか、劃数・天地・五行の良否などをトヤカク言っては、迷信の部類に入る。
③ 家相・墓相・方位 中国の方式より出ている、五行説というのがある。自然界の根本要素を、木火土金水とし、一定の相生相剋の順序によって、発生したり消滅したりするという思想で、また易の陰陽論と合して陰陽五行説とも称せられている。大体この論はすこぶる断定的で、木と火、火と土などは合性だから吉、木と木、火と火等は同気反撥で凶であるなど、どうしてそうなのかは、宇宙の生命流転の大原理だと自称する。しかしこの大宇宙は一念三千の生命であり、我々もまた一念三千の生命であり、これが真実の宇宙観、生命観であり、五行論は因果の理法を無視した低級なる宇宙観である。よく大工・左官等の建築業者が、非常にやかましく家相・方位というが、これすら徳川時代に多くの粉飾された理論を持ちだして、現在のような方式を生んだものである。家を建てるのには、空気の流通、光線の取り方保温等によって考えられるものであって、この方位に出張るのは凶とか、へこむのが吉とか、またはここに便所や流しがあるのは病難、あそこに倉や井戸があるのは火難等といいたてているが、すべて邪説であって、なんらの根拠もない。

④  古代中国の哲学で、世間の事象の移り変わり、物の見方を説いたものである。その主張は、この宇宙は陰陽二力によって構成されていると説き、八卦、六十四卦を立てて、占いの便にしている。古来よりの優秀先輩占者が実際にやった易断の記録を集め卦辞・爻辞という参考書をこしらえ、ちょうど裁判官が判決例をこしらえ尊重するように、これを易断の根拠としている。すなわちこれが易経である。ここで問題になるのは、客観性がないということで、すなわち同一の人の同一の問題について、もし二人の易者が占えば、二つの異なる卦がたつことが多い。また同一の卦でも、易者自身によって、判断されることが食違って来ることもある。こういうように違ってくる所に、普遍妥当性を欠いているから、根本的に信ずるに足らないものであり、いわゆるコジツケといわざるをえないのである。故に易経の中に、統計的に精錬されて多少は用いられている部分があったと仮定しても、目先の参考以上にはならず、成仏という絶対最高の幸福などとは程遠い事になる。大聖人は太田左衛門尉御返事(御書1017ページ)に、「厄の年災難を払はん秘法には、法華経に過ぎずたのもしきかなたのもしきかな」と、大御本尊様の功徳の甚大をたたえられ、仏道修行、すなわち三大秘法の大御本尊様を受持、信行に励むを、最高の法と断じられている。易などはいうに甲斐なき低級な教義であることを、はっきりと仰せられているのである。結論していうならば、これら占い、易などを信じて、これが今後の自分の人生を幸福にしてゆく指針だとするのは、大きな誤りであり、最大の危険である。

 

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